12.21.2011

故郷 陸前高田
























はじめて土台が残るだけとなった自宅跡に行く。はっきりわかるものは玄関と風呂場のタイルしかなかった。「ただいま」とつぶやきながら玄関に入り、泣いた。

 I first went to ruin of my house where was left only foundation after tsunami. Things I could recognize were only the front door and tiles in the bathroom. I entered in front door saying “ Tadaima”, and I shed tears.

12.10.2011

故郷 陸前高田
























避難所に指定されていた母校の高田一中から下を見下ろす。かつてここから自分の家が見えた。下校時に安らぎを感じながら見た家の明かりを思い出しながらシャッターを切る。

 I looked down at the entirety of the city from Takata City Daiichi Junior High School which was selected as a place of refuge. I once could see my house. I clicked the shutter of my camera because I remembered a feeling of a great peace of mind on my way home from school.

12.08.2011

故郷 陸前高田


























バスから一歩降りると、真上にヘリコプターが飛んでいた。周りには数え切れないほどの自衛隊がいる。そこにある空気全てが非常事態を示しているように感じられた。

When I got off the bus, I could see a helicopter in the sky just above me. There were countless members of the Self- Defense forces. I felt a tense atmosphere. All air around me signaled a state of emergency.

12.07.2011

故郷 陸前高田

























車窓の風景が一変する。ほんの数メートルの違いで天国と地獄が分かれている。車内にすすり泣く音、シャッターを切る音が聞こえる。

Scenery from the bus window changed completely. It is separated heaven and hell by tsunami. Just a little bit difference decided the outcome. I heard the sound of sobbing and the sound clicking the shutter of a camera in the bus.

12.01.2011

故郷 陸前高田


























これから陸前高田に帰り、そこで私が写真を撮ることは、はたしてしてもいいことなのか、考えていた。カメラを持ち、その現場にいるすべてに人に写真を撮る権利があると思っていた今までの自身の常識がおおいに揺らいでいた。ただ、別れ際、友人が全てを理解した上で言ったであろう「写真を楽しみにしているよ」という言葉と、なんとか工面できた200本のフィルムがあった。


 I wondered to myself over and over if I should take a photo of Rikuzentakata city after I arrived at my hometown or not. I had a thought of all people have the right of getting camera and taking photos, but my thought shook.Only things which there were at the time were a word my friend in Tokyo said “I’m looking forward seeing your photos” on understanding of my feelings and 200 films which I could manage to get after a struggle.

11.26.2011

故郷 陸前高田

























東京に滞在中お世話になった友人と別れた。言葉では表せない感謝と、これから一生切れることのないであろう縁について想った。少し画面がブレてしまった。


 I parted from my friends who did something for me during stay in Tokyo. I thought about gratitude to my friends in Tokyo and our relationship which won’t break off forever. The photograph is slightly blurred.

11.15.2011

故郷 陸前高田

























東京についたその日、地震が起こった。
2日くらいテレビをずっと見ていた。12日にはテレビの上空からの映像で実家が流されたことがわかった。
天気がよくて、国分寺でわざと迷子になって歩く。日差しがとても暖かい。

故郷 陸前高田

これから「故郷 陸前高田」というタイトルで写真を更新していこうと思います。
2011年3月10日の盛岡バスセンターからはじまり、東京に滞在した一週間と少しと、陸前高田に帰ってから盛岡に戻る4月7日くらいまでの二週間くらいを撮ったものです。
どれくらいの期間更新することになるのかよくわかりませんが、よろしければ最後までお付き合いください。







八王子で3月15日から17日までの予定で開かれる「時間のゆくえ」という合同写真展に参加するため、夜行バスで東京に向かいました。
久しぶりの東京に不安もありましたが、相当期待に胸膨らんでいたように思います。

11.14.2011

盛岡バスセンター




はじめてバスセンターに行った時のことをよく覚えています。
時間が大分前から止まっているような、時計の針が一瞬にして逆行してしまったかのような頭が麻痺したような感覚、一度も吸うことの無かった昭和の空気への一種の憧れが、瞬間、自分の中ではじけたような衝撃がありました。足を踏み入れた瞬間、ここはなんとしても撮らないといけないと思いました。


夕方の時報とともに流れてくる相撲中継の音声やバスの発着を知らせる独特な訛りのアナウンス、夜行バスの到着を告げる運転手が、どこか違う場所、遠くへ運んでくれるような、そんな気分にさせます。
冬に近づくにつれて、そんなことが唐突に、文脈もなく頭をよぎるようになりました。今年も撮りに行きます。